だったかな。
今、録画手段が無いので、自信ないけれど。
野村万之丞さんの考証方面での最後のお仕事だそう。
昨日は、九世野村万蔵さんが佐渡狐を演じられていた。
追贈されたから、八世野村万蔵さんと呼ばれるのでしょうか。
代々伝えられていく、名跡という「仮面」は、随分重そうで。
祖父にあたる六世万蔵さんに、そのお父さんが、狂言だけでは生活できないかもしれないからと、面打ちとい技術を見につけさせられたという話に、子を「芸」のために捧げる覚悟というのを感じてしまったから。
真剣に取り組むっていうのは、怖くて、すごいことだと思う。
でも、真剣、一生懸命、取り組まれて、作り上げられてくるから、あるいは、作り上げられた表現物自体は、肩の力が抜けているものでも、そこに至るまで捧げられた人生、時間、エネルギーがあるから、表現物は、時として、見聞きする他者の人生変えてしまうまでの力があると思う。
ドラマでは呉公と呉女と、楽器の方たちが少し出られて、正座しなおしてしまいました、比喩とかでなく。
大化の改新とか、テレビでの話のこととか、史実とか、どう受け止めて良いのか、というところもあったけど。
それはまた、調べて整理して、考えるとして。
呉公と呉女のエピソードを少しだけど知っていたから、その後の、捕えられた鎌足の命乞いのでの入鹿と与志古のやりとりでの、与志古の言動に、ぐっときてしまう。
こういうちょっとした演出って、好き。
聞いた時に、お脳に電気が走った鎌足の台詞。
「おのこ一生の幸せは、正しき御方に仕えること」
おのこじゃなくても、あてはまる言葉です。
仕えるなんて、身分制度じみた感覚はまずいんだけど、サポートというか、そういう何か、誰かに出会えたことは、幸せだと思う。苦しくもあるけど。
内田善美さんって・・・ファム・ファタールだと思って、観念する、か。
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