内田善美さん関連は「かぼちゃの小船」へ

カテゴリー【星の時計の内田善美】の殆どを
かぼちゃの小船 http://uy.cross-road.jp/】へ
移動させた。

なので、ここで内田善美さん関連の記事を書くことはないと思います。

移動先のカテゴリーは同じ、【かぼちゃの小船 星の時計の内田善美


古い順に、
 【ミヒャエル・エンデのモモの「星の時計」
 【タイトルの謎々(リドル)
 【青・肖像・星の時計のLiddell・草迷宮
 【天川三兄弟・天降る月人
 【蒼生人・浅葱と青の肖像Requiem
 【草迷宮・銀色の糸・草空間
など。

歌詞を引用している記事は、JASRAC の許諾がとれているココに残してます。


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内田善美氏と青の肖像(NOVELA)・・・ぱーと4

NOVELA(ノヴェラ)というバンドがあって、その44回転セミ・アルバム(レコードの時代)「青の肖像」に、内田善美氏がジャケットのイラストを書かれていた。

収録曲は、「青の肖像パート1」「青の肖像パート2」「メタマティック・レディ・ダンス」「ナイトメア」(たぶん)の4曲。
で、半年ほど後発売のアルバム「パラダイス・ロスト」に、「青の肖像パート3」が収録されている。

内田善美氏の作品に謎なタイトル、「草迷宮 めらんこりあPART4」というものがある。
PART4」の「PART」は、青の肖像から来ていたものだったわけだ。
でも、それは、「PART1から3まである、青の肖像のジャケット描いたよ」なんてものの手がかりじゃなかった。

唐突な「PART4」。
PART1からPART3は、どうなっているのだという疑問。
その疑問こそが、内田善美氏が「隠し抽斗(ひきだし)」に用意してくれていた謎々 riddle

P20101009part4_2

「草迷宮 めらんこりあPART4」が収録された「草迷宮・草空間」を置いて、
星の時計のLiddell 1巻、2巻と重ねて置く。3巻最終巻は・・・左に。

「空の色ににている」の台詞。

わたしたちは
あんなにきれいに
かさなりあえる

冬城さんは
私ひとりだけでなく
君ひとりだけでなく
私たち ふたりを
ここに残していったのだわ

ここにも、「隠し抽斗」。ただし、今度は謎々じゃなく、答えの入ったもの。
内田善美氏は、お別れの言葉をちゃんと告げてくれていた。

星の時計のLiddleの1巻2巻が、続けて出た後、発売予定が大幅に遅れ3巻は1年後となった。
1巻よりも先に、「草迷宮・草空間」は発売されていた。

「青の肖像」という存在を知ると、「隠し抽斗」だと思った。
星の時計のLiddle3巻発売後、1年程後の、ぶ~け11月号表紙を最後に、断筆されたのだと、はっきり知ってからは確信。
※(訂正)最後の作品は昭和64年1月号の2000人プレゼントカレンダー。購入すれば全員が手に出来た作品としてはしては、昭和62年のぶ~け11月号表紙。※
「青の肖像」と呼ばれるレコードのジャケットには、文字はなく、帯の紙にあるだけで、タイトルとしてはRequiemと型押しで記されていたのだから。

画家だったら 描かなければならない
詩人だったら 言葉があふれてしまうだろ
音楽家は 感情の一ひだも 葉っぱの一枚さえも音に変えてしまうんだ

秋に、内田善美氏は、漫画家としてではなく、画家として行ってしまったのだ。

彼岸へ…
こんな風に…
悲しみは
いともさりげなく
私に 準備をうながすのだ
天上の至福にも似た姿をよそおって
天使が降りてきて
ささやく
これは秘密(ないしょ)だけど
これは…
秘密(ないしょ)だけど…

天使の姿。

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林 象2「孤独に歩め」「林の中の象のように」

「久し振りだな少佐。今はなんと呼ぶべきかな」
「正確には衛星経由で私の一部がロードされてるだけよ」

 かつて、『男』が少佐と呼び、草薙素子と認識されていた、その「ゴースト」を持つ者。
 どう呼べばもなにも、一部が入っているだけの、端末状態。

 端末に過ぎない擬体にベストを羽織らせ、女性扱いする『男』

「変わってないわね」

『女』が発した言葉の温かさ。

「行けよポイントマン。後ろは俺が固める…昔のようにな」

 ポイントマンとは、戦術的に最初に進む人。優秀でないと、危険度が増すわけで、服を羽織らせても、そこに送り出すという不思議な関係性を垣間見せるやり取りとなっている。

 戦闘が終わり、別れの時。

「孤独に歩め、悪をなさず、求めるところは少なく」

と、語る『女』
『男』が続ける。

「林の中の象のように」

 言葉を続けられるということは、その前にどんな言葉があるかも知っているということ。
 「愚かな者は、道伴れにするな」という戒めの言葉。
 口に出さすとも、互いに知っている。

 『女』が口にした「行くわ」という言葉。
 耳にした途端『男』には『彼女』が道伴れにならないのは、自分が愚かな者だということか、という絶望しか無かっただろう。愚かであるという判断に対するものでなく、道伴れにならないという「宣言に聞こえた言葉」に対しての絶望。その絶望がかすかな希望へと変わる瞬間。

「バトー、忘れないで。貴方がネットにアクセスするとき、私は必ず貴方の傍にいる」

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孤独に歩め、林の中の象のように

こんなのも書いてみた。林 象2「孤独に歩め」「林の中の象のように」

 「孤独に歩め・・・林の中の象のように」
 押井守監督のイノセンスの台詞。映画の中では、原文から前後が削られていた。

 元は、ブッダの言葉。「真理のことば(ダンマパダ)」のもの。
 訳者により言い回しは違うだろうけれど、手元にある岩波文庫、中村元訳のものだと、

 もしも思慮深く、聡明でまじめな生活をしている人を伴侶として共に歩むことができるならば、あらゆる危険困難に打ち勝って、こころ喜び、念(おも)いを、おちつけて、ともに歩め。
 しかし、もしも思慮深く聡明でまじめな生活をしている人を伴侶として共に歩むことができないならば、国を捨てた国王のように、また林の中の象のように、ひとり歩め。
 愚かな者を道伴れにするな。独りで行くほうがよい。孤独(ひとり)で歩め。悪いことをするな。求めるところは少なくあれ。―――林の中にいる象のように。
 事が起こったときに、友だちのあるのは楽しい。(大きかろうとも、小さかろうとも)、どんなことにでも満足するのは楽しい。善いことをしておけば、命の終わるときに楽しい。(悪いことをしなかったので)、あらゆる苦しみ(の報い)を除くことは楽しい。

 題名の台詞はその削られた部分に、押井氏の思慮深さと、聡明さを感じてしまって、当時公式サイトで募集してた感想文の締めに使った。

 「押井守様。孤独に歩め、林の中の象のように。ありがとうございました」と。

 愚かな伴侶(消費者・観客)を道伴れにしないでください。応援してます、と。

 愚かか、聡明か、見極める能力も、とっても大事だと思う今日この頃。

 聡明になれない私のような身では、特に。

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十三仏真言

それぞれ、3回。順番に唱える。
本当は梵字なのだろうけど、ひらがなで書いてある。
どういう意味なんだろう。

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«光明真言